第 七 回 瓔 珞 便 り (昭和六十二年十二月五日)
今年の札幌は30度になったのがたった一日きりという冷夏でした。冬は冬で、十二月一日まで雪は殆ど降らず、積雪は皆無、カチンカチンに凍った土の上を寒風が吹きすさぶという珍現象を呈しておりました。ところが、「時候たがえず・・・」という古川柳の詞は事実で、一日の夜には三十センチ、二日には更に四十センチと積もり(観測史上初)、雪には充分馴れている筈の私達を仰天させました。各地の先生方はこの冬を如何にお過しでしょうか。瓔珞便りは予定通り年内にお送りすることができました。お願い申し上げた先生方の葉書便りも例年通り沢山いただきまして、今回の目玉商品にすることができました。欲をもうせばあと5・6枚いただけたら言うことはございませんが。
さて、この便りもはじめに悲しいお便りをしなければならなくなりました。西村先生からのお報せによりますと、本会の最長老の谷井増甫先生が一月十二日にご他界されたそうであります。九十八才というご高齢で清水先生以外には会員の殆どすべてと面識がないにも関わらず、瓔珞会を心から愛して下さいました。お手紙は何遍もいただきましたが、いつも「北大にいたときが一番楽しかった」と吐露され、卓抜な記憶力でこまごまと思い出を綴られ、合間合間に科学者としての心構えを体験を通して説かれて下さいました。訃報にせっして、体中の力が抜けたような気持ちになった次第です。次いで、六月二十三日には思いもかけず、真方敬道先生(七十七才)がおなくなりになられたことを本堂先生から承りました。先生の予科のご在任はそう長くはなかったと思いますが、哲学者としての卓越したご学殖が講義ににじみでて、戦後の予科生を啓発することはまことに大なるものがあり、敬愛を一身に集めておられました。恵迪寮生と共に起居され、寮外生は先生と私的に接触できる寮生を羨望の的としておりました。端正な風貌と豊かな学識とあいまって、先生は全予科生のアイドル的存在であったことが思いだされ、母校であります東北大学の哲学の講座の教授に転ぜられ、定年後には東京女子大学の教授をつとめられましたことはご存知の通りであります。ここに皆様と共に両先生のご冥福をお祈り申し上げたいと存じます。
富永義彦先生の奥様美哉子様には三月末に、また蝦名賢造先生の奥様百合子様には五月八日にご逝去されました。長い間苦楽を共にされた人生のご伴侶を奪われた両先生のご悲嘆は如何ばかりかとお察しするに余りあります。謹んで哀悼の意を表する次第であります。
北大では予科出身の有江幹男学長が任期満了でこの四月に退任し、名誉教授の伴義雄氏が就任されました。三高、東大出身で昭和三十一年に北大に着任されたのですから、予科とは殆ど縁のない方ですが、「都ぞ弥生」を無視して学長が務まる筈はありませんので、その点瓔珞会としても心強いと考えております。
戦争中、スパイ容疑という冤罪で言語に絶する凄絶な仕打ちを受けられたレーン先生ご夫妻と共に重刑を受け悲惨な生涯を終えた元予科生宮沢弘幸君を語る「ある北大生の受難」という書が出版されました。(上原誠吉著、朝日新聞社、1100円)。今まで私達さえ殆ど知らされこともなく、戦後再任されたレーン先生ご夫妻も黙して語ろうとはしなかったあの忌まわしい事件の全貌が明らかにされております。先生方にご一読をおすすめいたします。この書以外に先生方のご著作では和田先生外の「平和憲法の創造的展開」、井上先生の「先生が私を変えた」(径書房、1400円)があります。いずれも葉書便りをご覧下さい。なお、蝦名先生の「地方開発の研究三十五年」(新評論、5500円)は近々発行の予定だそうであります。井上先生のは自叙伝といっておりますが、私たち先生と親しい外野席の連中は、自分自身を主人公にした修身物語といった方が適切ではないか、いやそれでは井上さんらしくなくなるなどと、色々と取沙汰しております。
それでは、先生方、何卒よいお年をお迎え下さい。
昭和六十二年十二月五日 世話人代表 明 峯 俊 夫