第 五 回 瓔 珞 便 り  (昭和六十一年二月二十日)

 今年の北海道の冬は珍しい程の酷寒豪雪で私達はいろいろと難儀を重ねましたが、只今は春の足音がかすかにちかずいたような気配になって参りました。先生方は如何にお過ごしでしょうか。第5回のお便りは昨年の暮れの予定でしたが、遅れてしまいまして申し訳ございません。

 この一年間、私達世話人に届いた情報から申しますと、会員の方々には殆ど変動がないようです。皆様ご無事でお過ごしにになられましたことと拝察しまして喜んでおります。

従いまして名簿も林先生、渡部先生のご転居を除けば小さな変更ばかりとなりました。

 ただ一つだけ素晴らしい朗報がございます。会員の数は減ることがあっても増えることのない宿命を持った会であることは予てから割り切っていたのでありますが、今年はその宿命を破って会員の数が増加いたしました。それは谷井(やつい)容甫先生のご入会です。先生がご健在でありますことは、昨年西村先生からのご連絡により承知したのですが、清水先生にお伺いししましたところ、「とても静かな紳士だったが、お身体が弱い為止むを得ず本州にお帰りになった方でよく記憶している。是非入会をお願いするように」とのお答えでした。調べました所、同先生は大正104月から大正141月まで化学を担当されて予科に在任されたことが判りました。芳村五左衛門先生の前任であったと考えられます。早速、高槻市の同先生に本会の紹介と共に瓔珞便り、名簿、北大百年史予科の別刷り、北大概要などをお送り申し上げ、ご入会下さいますようお願い申し上げました。すぐにご返事を頂きましたが、大変お喜び下さいまして、是非入会させて欲しいとのことでした。持参金というユーモラスな名義で大枚のご寄附金を頂戴しました。毛筆で候文を混じえた長文のお手紙などを今日までに五通いただきました。いずれも昔の思い出話を細々と綴られたもので、九十七才というご高齢にもかかわらず、しっかりとしましたご筆勢とご名文で「札幌時代が一番楽しかった」と仰有っておられそのご記憶力は絶大なものでして六十数年前の行動や会話をつぶさに記され、読んでいるうちにとても楽しくなります。旧制三高から東大にすすまれましたが、ご病気の為退学せられ京大に転じられてご卒業になり、東大、京大、東北大を経まして予科に赴任されましたそうであります。お手紙をそのまま会員の皆様にお目に掛けたいのですが、不可能のことなので、最近送っていただいた三高会誌六二号に載せられました先生の一文のコピーをおとどけいたします。皆様と共に先生のご入会を歓び、ご高齢の先生の益々のご長寿をお祈りしたいと存じます。

 西村先生より北大関西同窓会報に投稿された予科の思い出話を送っていただきました。これもコピーしてお届けいたします。尚、北大百年史予科を書いた水野一君から昭和19年ころの予科校舎の平面図のコピーが寄贈されました。どの部屋が何に使われていたかを調べるのに大変な苦労を払われたようです。当時の予科を思い出すよすがとして貴重なものと考えられます。

 今回の便りにはワープロを試みてみました。山元世話人の努力によるものです。出来栄えは如何でしょうか。これを一応名簿の決定版にしたいものと考えております。世話人に寄せられた資料に従えば誤りはないものといささか自負しておりますが、発会以来一度もご連絡のない先生が数名おられます。しかし、郵便物は一度も戻って参りませんので、大きな誤りはございませんでしょう。今後ともご動静に変わりがありました時には是非お知らせを下さいますようお願い申し上げます。他の方の変動をお知りになりました時にも同様にお願いいたします。

 次のお便りは今年末頃と考えております。世話人はしばらくは有岡、山元、明峯の三人でやってゆくつもりです。何卒よろしくお願いいたします。

 先生方のご健康を心からお祈り申し上げます。

    昭和六十一年二月二十日           世話人代表 明 峯 俊 夫