第 四 回 瓔 珞 便 り  (昭和五十九年十二月三日)

 札幌には珍しい酷暑に悩まされた夏もとうに過ぎ去り、雪のちらつく12月になりましたが、先生方のご機嫌は如何でしょうか。

     前回のたよりの際にご近況などをお訊ね申し上げましたが、ご返信用のはがきが42枚回収されました。全員の方からのご返信を期待していたのですが、これは無理だったようです。ご返信を下さった先生方に深くおん礼申し上げます。少し遅くなりましたが、別紙のコピーをご覧いただきたいと存じます。運営費として多くの方々からご寄附をいただきました。おかげ様で会も豊かになりました。これまたご厚礼申し上げます。

   あの際ご案内申し上げた懇親会は出席の申し込みが極めて少なかったため中止の止むなきに到りました。大変残念で、お申し込みになられた先生方には誠に申し訳ございませんでした。恐らくわれわれ世話人で決めた日どりが不適当だったことが最大の原因と考えられ、深く反省しております。次の機会には是非多数のご参会をお願い申し上げます。

     最近になりまして、お二人の先生がご他界なされたことを知り驚愕いたしました。924日に村松康先生が茨城県の長男のもとで83才でなくなられたことを新聞の広告で知りました。ご遺族は茨城県筑波郡谷田部町松代4‐40436のご長男村松晋様です。ご病気は癌だったようです。それから2月も経たない1112日に佐藤久次先生が急性肺炎でなくなられたことを、これも新聞広告で承知いたしました。87才であったそうです。詳しいことはまだ判りませんが、ご遺族は千葉県柏市豊住51112 佐藤仁人様のご夫人佐藤キク様です。誠に哀悼の到りでありまして、謹んで両先生のご冥福を皆様と共にお祈り申し上げたく存じます。

      会員名簿はほぼ完備されたと思っております。誤りや変更がございましたら必ずお知らせ下さるようお願い申し上げます。

      次のたよりは来年の今ころと考えております。末筆ですが先生方皆様のご健勝をお祈り申し上げます。  (世話人代表明峯記)

往復葉書の返信:

○ 教えることをすっかり止めました。未だ歩けるので、弥彦山の裾を歩くのを楽しんでおります。                            篠田成之

○ 「瓔珞便り」ありがとうございました。学校も大変立派になり、お送り頂きました「北海道大学概要」のきれいな写真をなつかしく拝見致しております。この夏は出席できませんが、この次は是非参りたいと思っております。変な世の中になりつつあります。いま、「久野訳:人間―過去・現在・未来」(岩波新書)を読んで下りますが、恐ろしいほどです。ご健康をお祈り致します.                  紺野正平

○ もともと血圧が高く、保健課の高橋先生から注意されていたのが、昭和45年頃から更に高くなり、在職中は高橋先生、退職後は近くに開業している従弟の世話になり、月二回検診を受け続けています。その他は極めて健康です。近くのYNCAに温水プールが出来たので、週5回の水泳と週1回月寒のスケートリンクに通い無理のない程度でスポーツを楽しんでいます。晴れれば花作り降ったら本を読むかテレビを見る毎日です。                                 

                                  有岡 勇

○ 三月末に定年退職しましたが、続いて園田学園女子大学に非常勤ででております。お蔭様で元気です。この会のお世話に深く感謝しております。昭和22年にに自分の都合で帰りました。夏休み中だったりして、ご挨拶もしないで済みませんでした。その後も、15年間を過ごした日々が、殊に歴史の激動の時期をはさんで、懐かしくてなりません。年齢を加えると共に募ります。この想いを繋いで下さる橋−この会の存在は有り難いことです。ご多幸をお祈り申し上げます。                 西村 稔

○ 第三回瓔珞たよりをお送り頂き有難うございます。札幌での懇親会には都合で出席できませんが、ご盛会を祈ります。小生、相不変、まだ現役(そのもの!)で、頑張っています。                             和田英夫

○ 資料が散失してほとんど皆無の状態から会員125名の詳しい御消息をまとめ上げお知らせ頂き、さぞ御苦心があったことと有り難く感じます。是非出席し諸先生にお目にかかるのを楽しみにしております。私は五年ほど予科に在職し、教育制度改革と伴い、北海道教育大学に転職し、昨春停年退職しました。現在二校に非常勤講師を勤めていますが、夏、冬とも徒歩で用事をすませるようにしていますので、一日平均2里から3里歩いています。街路樹、町並みの移り変わりなどがいくらか記憶にとどめることができました。                         小宮英太郎

○ いろいろご苦労様です。何一つお手伝いもせず、のほほんとして誠に申し訳ございせん。長男が東京に移り、海外出張が多くなりましたので、留守番に呼び出される始末です。懇親会も楽しみにしていましたが、留守しますので出席致しかねます。皆様に宜しくお伝え下さい。                          川村米一

○ いろいろ印刷物有難う御座いました.面倒なことをやって頂いてますことが恐縮で厚く御礼申し上げます.お目にとまらなかったと思いますが、北海道新聞六月二十九日夕刊にクラークから父への手紙のことを書きました。予科でドイツ語を教えていた田内静三は札幌農学校一期生田内氏の令息で田内氏からクラーク先生宛ての手紙も公表しています。(北大季刊)この展覧会の事で六月始め札幌に行ってきました。次回にはお目にかかりたいと思っております。                    佐藤昌彦

              名簿を拝見しまして、なつかしい諸先生の面影が次々と浮かんでまいります。昭和十二年十月私共をのせた軍用列車が富山市の西部を大陸の戦場に向かって走っておりました時、道路の上にドイツ語の成田秀三先生が、右手に帽子を高くかかげてゆっくりと大きく振りながら見送っておられました。当時成田先生は富山高校にお移りであったと思います。もちろん先生は教え子の一人がこの列車に乗っていることなどご存知なかったわけですが、不肖の教え子は窓ガラスに顔をよせて感動していました。それから10日目頃に戦死する筈でしたが、不覚にも生き延びまして、恍惚の時を迎えてしまいました。ただ慙愧の想いだけが残ります。                      石塚星郎

○ 瓔珞会たより戴き御手数多謝申し上げます.皆様の御消息わかりよろこんで拝見致しております。私も喜寿に達し、昨年で東海大学も退き無職になりました。近くに坂元さんが住んでおられ一度お会いしました。札幌へは両親の墓もあり時々行きますので、またお会いする折もあると思います。諸兄に宜しく。          辻村正吾

○ 第三回瓔珞会たより有難うございました。昔お世話になった諸先生のその後のご消息などがわかり、大変懐かしく拝見いたして居ります。渡部信夫先生など数学の先生とはその後も交流がございましたが、大部分の先生方には失礼して今日に至りまして恥じ入る次第です。818日の懇親会には是非出席いたしたいところでございますが、ハンガリーで開かれる微分幾何学の学会に出席のため中旬から海外に出かけますので欠席いたします.ご出席の諸先生方によろしくお伝え下さい.会のお世話ご苦労様でございます。                                大槻富之助

     終戦后に北大医学部に入学卒業して家業の開業医をやって居ります。こちらでは数学のことは忘れてしまって、郷土史の勉強をやったりしています。それでも看護婦学校の数学の入試の問題作りを毎年させられが学力のないのに驚いています。 江本淡也                                

○ 小生もさる三月末にて古稀定年の退職をいたしました。週2日の講義のくらし、このまま老いこんでしまわぬよう、論文活動を続けたいものと思っていますがー.瓔珞会のご清栄をいのり上げます。                     富永義彦

○ 大学の一覧、百年史等御恵贈有がたく拝見しました.半数以上の故人となられた教官へは深く頭を垂れて弔意を表しました。小生は道場にて元気でヤットーと消夏に努力してます。瓔珞会には楽しみにしておりましたが、道場の夏季合宿と重なって都合がつきません。荊妻も同伴と思っておりましたが残念です.御参会の先生方にはくれぐれも宜しく御伝言下さい。又先生方で上京の節は是非立ち寄り下さるよう。皆さんの健康を祈ります。                              大根善次

○ 第三回瓔珞たよりをお送り下さって有難うございます。幹事の先生方には心から感謝しております。懇親会の当日は、昭和47年、大雪山旭岳での北大スキー部なだれ遭難事故の追悼登山があり、現地に出かけますので、残念ながら出席できません。出席できたら多くの先生方ともお会いできる得難い機会なのに残念です。皆さんによろしくお伝え下さい。大滝村に「人生の生き方を考えるためのロッジ」を建てて一般解放しています。是非お使い下さい。                       水谷 寛

○ 大阪学院大学外国語学部の勤めも早11年目に入り、近日満78才の誕生日を迎えます。そろそろ勇退してもいい年ですが、老化防止のためにも、学校のためにも、もう数年頑張った方がよさそうです。弊学は校舎整備が大体完了。おんぼろ研究室暮らしを続けた小生も生まれてはじめてホテル並みの研究室にありつきました。なつかしい皆様にお目にかかりたいのは山々ですが、何分遠方で思うに任せません。呉ぐれもよろしく。

                                   原 俊彦                                     

              1897年生まれ87才の高齢を徒に永らえて無為徒食しております。国の恩給年金制を満喫しております.御生存の諸先生方の健康を祈り、明峯君の御尽力に感謝いたします。                                 佐藤久次

              「第三回瓔珞たより」拝読しました。お忙しい中手数のかかる作業をしていただき、敬意を捧げ感謝申し上げます。末席にいる私まで案内いただき、昨年の会同様皆様のお元気なを拝見し、またお話を承りたいのですが、孫たちが参りますので、今回は欠席させていただきます。今、退職公務員連盟の中央支部の幹事長をして、微力ながらがんばっております。皆様方のご健勝を心からお祈りいたします。          高橋義勝

              いつもお便りいただき有難うございます.818日は公務予定があり残念ながら欠席します。瓔珞会では最若輩の私も還暦を迎えました.御健康をお祈り致します。

                                   山本隆男

○ 瓔珞会のお便りありがとう存じます。私は勤めをすっかりやめて、ぶらぶらしていますが、春以来身近にいろいろなことが起こって、つい御無沙汰をしてしまいました。お許し下さい。数年前から本業のゲルマニスチックの看板を卸して、もとから好きであった音楽関係の勉強ばかりしています。所詮しろうとの道楽ですが。今度の懇親会には出席したいのは山々ですが、盛夏の北海道はホテルも飛行機も混んで残念ながら老体には無理です.                            柴田治三郎

○ 折角のお催しの機会ですが出席いたしかねます。御盛会と皆様の御健康をお祈りいたします。                             久佐  守

○ どうも風邪をひき易くなり夜の外出は遠慮した方が安全だと思って、残念ですが失礼させていただきます。皆様には悪しからず宜しくお伝え下さい。皆様の御健康と御多幸を衷心よりお祈りいたします。                   清水栄長

              度々瓔珞だよりを戴き且今回は部局史の貴重な抜刷を戴き更に又北海道大学概要の最新版迄お送りいただき、そのお骨折りに深甚のお礼を申し上げます。私は30年前に 北大から横浜国立大学に移りました。その頃は明峯先生も宇野先生も溌剌としたものでした.最も明峯先生は今でもお元気でしょうが、それでも昔のようではないかと思います。私は4年前横浜国代停年退官となりましたが、その際名誉教授の称号を授与されました。これも先輩各位のおかげと感謝申し上げて居ります.現在東海大学体育学部の特任教授として勤めさせて頂いて居ります。明峯先生のお骨折り重ねて御礼申し上げます。

                                   中西信行                             

     瓔珞会の発足を心からうれしく思い、明峯先生始めお世話下さる在札の諸先生方に心

から感謝致しております。今年は九月に日本菌学会の大会が札幌で開催されますのでこれに出席の予定でありますが、8月の第2回懇親会には残念ながら出席致し兼ねます。私ことさる8年三月末日で停年退官いたしました。現在週に一日、某大学に非常勤講師として講義に出かける外は自宅でぽつぽつ仕事を続けております。最近テニスを覚え、下手の横好きで時々楽しんでおります。会員諸先生のご健康を祈ります。   大谷吉雄                                   

○ 近年時々持病の狭心症の発作をおこしますので用心してそちらにも御無沙汰し、失礼して居りますことをお許し下さい。先生方の御健康と御多幸を心からお祈りして居ります.                                入江 遠

              「北大概要」と「百年史 部局史」を送ってくださってありがとうございます。さっそく読んで懐旧の思いに耽りました。ハンス・コーラという独語教師のことは知りませんでしたが、Studentenliedを教えたと聞いて、私も大事に持っている小冊“Deutsche

StudentenLieder“を取り出してみました。もちろんヒゲ文字です。コラー先生はおそらくここから選び出したのでしよう。それから当時「のらバイト」、「ゾルバイト」と言われていた勤労作業のことも忘れられません。御厚志深謝いたします。   横溝政八郎

○ 御返事遅れました。お詫び申し上げます。6年前から眼病(緑内障)にかかり、更に1年前から白内障が併発し、点眼剤は冷蔵庫保管眼圧がたかくなれば24時間以内に手術をしなければなりませんので、旅行は無理でございます。近くに設備の良い総合病院があり、眼科は秋田大学から来られて眼圧が旧に変動しない様に診療してくれております。先生も会の運営が大変だと思いますが、長く続きます様お祈り申し上げます。運営費2年分2000円寄附させていただきます。(詳細は後便にて)         小松三郎

  ○ 所用があって出席できません。お許しを願います。ご盛会としょせんせいのご健康をおいのりします。私はさる3月末をもって藤女子大学を定年退職し、現在は非常勤として週2日出講しています。運営・通信費¥1000を同封致します。     丹治敏衛

     予科に在職中は若い方だった小生も既に70才を超えました。東北大を停年(63)

やめ、ついで新設学部にということで岩手大人社学部に4年間いてまた停年。つぎは私学の東北福祉大に雇ってもらい、それも今年3月で停年。ただいまは非常勤という次第。毎日家で大酒飲んで酔生、そして夢死をまっているような現状です。    津村浩三

              御無沙汰致しており、申し訳もございません。予科在職中はこれという仕事もしませんで廃止間際に市内中学校に転出し、御迷惑をおかけしました。爾後しないの中学校を数校転任し、理科教師として勤めている内に、どうにか、教頭・校長となりましたが、最後はかろうのためか高血圧症で休職のまま停年退職となり、現在はささやかな年金生活を送っております。私のようなものが予科の職員として名簿に載っているのも皆様のお影と 感謝しております。                          三上                                  

     いつもおせわになり、ありがとうございます。独りながら恙なく暮らしておりますからご安心ください。先生方のご健康を祈ります。            坂元義男

     清水栄長先生は欠席と御返事差し上げましたが出席なさいますので御知らせ申し上げます。                              吉田竜男

     瓔珞たより有難うございました。私が予科にお世話になったのと明峯さんが入営されたのが同じ年のようです。あの当時の先生方は殆ど亡くなられているようです。私は終戦後因島に帰りましたが、随分変わりました。世相も変わりました。老夫婦はすべて御隠居さま農では暮らしがたたなくなり人口も減りました。土は痩せ百姓やせて近代化。 瓔珞会は欠席いたします。                  村上玉樹

     昭和25年3月予科閉校となり、やっと理学部(教養担当)に移ることができました。昭和513月に停年退職となり、現在東海大学札幌校舎に週2日、北海学園大学に週 1日勤めて居ります。このような老体の指導を受ける学生は可哀想ですので退散しようと思って居ります。瓔珞たより、会員名簿等有難うございました。特に名簿は完全になり御苦労の程うかがわれます。申し訳なく思っております皆様にお会いできることを楽しみにして居ります。                    秋山隆二郎

     昭和23年北大予科に勤めさせて頂き、予科廃校以後は、多少のブランクはありますが、現在まで北大教養部で教え、単位を授けた新制北大の学生の数は2万名を超えました。(札幌農学校以来の北大卒業生は約6万名、予科修了生は約1万名)。学生諸君と酒を飲んで寮歌を怒鳴っておりますので、年齢よりは若いと人に言われますが、これはほめ言葉と考えていいかどうか著しく疑問です。         山元周行

     残暑ますますきびしい今年ですがせんせいには壮健で御過の御事心からおよろこび申し上げます。先日は瓔珞たよりまことに有難うございました。早速御返事申し上げるべきところ遅れまして失礼しました。前回の瓔珞の集まりには小生は日時を間違えてことでした。次回こそと考えて居りましたところが20日から開講になります直前の土日に学生らと旅行を決めて居りました。それから音沙汰がないので、それなら会の方としていたのですが、つい先日にんずうが揃ったとの連絡がありましたので、本年もまことに残念乍欠席いたします。諸先生に呉呉もよろしく御伝え下さいますようお願い申し上げます。                       橋本誠二

     北大を停年退官して7年になります。その間、東日本学園大学教養部において物理の教師をしています。勤務地は、国道38号線沿いにあって、釧路と帯広の中程の地点にある音別町のはずれにあります。食料品など日用品の購入には、10km離れた白糠町のマーケットに出かけることになります。この土地に住み着いて二年間ほどは、香料たる原野の景色が珍しく、よく散歩して楽しくすごすことができました。その後は、都会生活の便利さが懐かしく、札幌に帰りたいとねがっているうちに、はや70才の年齢に達しました。すなわち、いまの大学の定年制に寄って、本年3月末に退職することになりました。したがって、今はしかるべき機関(例えば科学館など)において、青少年の科学教育のお手伝いをしたいと希望しています。      林 正一

     まだ梅雨の明けやらぬじめじめした気候です。度々なつかしいお知らせくだされ、mた見舞いの手紙を下され。誠に有難う御座居ました。百日入院の後通院し、また入退院を繰り返しておりますが、細くながく生きようと心がけております。何卒御身お大切に願い上げます。                         中野久一

     七十歳を過ぎ藤女子大を定年退職いたしました。現在は三つの大学で非常勤講師をしておりますが、これもあと一,二ねんぐらいのことと考えております。健康だけはこれからも維持したいと考えております。皆様の御健康と御幸福を祈り上げます。

                                   本堂正夫

○ 会合の案内は医大入院中に受け取りました。幸い退院出来ました。今年のアツサにまいりましたが、やっと涼しくなったようでほっとしています。そして会にでるようになりました。入院中宇野先生の遺稿をよみました。短い私の予科奉職時代の思いが悲しく、またなつかしくうかんできました。みなさまとにお会いする日を楽しみにしています。                                 関川 巌

○ 現在北大教養部数学科勤務、予科奉職以来足かけ37年になりました。時の流を感ずる昨今であります。                          中島甲臣

     何時も御高配を頂き感謝申し上げます。818日の「不二屋」の会合には不参加―

無職。気の赴くままに好きなことをやっている分には誠に元気。出来る限り長生きする予定です。                              若山誠治

○ 別紙御笑覧下さい。                        真方敬道

  別紙:   GirlsI remember you all !    真 方 敬 道

               東京女子大学 学報(昭和55年2月5日)所載

 昨年の暮れもおしつまった頃、二児をこの大学に通わせたという人品いやしからぬ婦人が研究室に訪ねてみえた。問えば三十二年前、札幌にできたばかりの藤女子大学で私から「論理学」を聴きそれこそ「必要にして十分」な答案で満点をせしめた他、パスカルについての私の処女論文を浄書してくれた人だった。後で母親から「年寄った真方さんなんて考えられない」と申し越されたそうだが、今はそこの白石墓苑に「憩う」父君の言葉をかりれば私もそのお宅に「草鞋をぬいだ」ひとりで、食住のない時代に頂いたお心尽くしを思いおこして私の胸は感謝と懐旧の情に溢れる。北海道大学予科の科長であられたその宇野親美さんの口ききでやがて私は予科生の恵迪寮の一室にすむようになったが、これは大学紛争以前の当時でも稀な厚遇らしく、お蔭で第一高等学校西寮での「短くも美わしかりし」青春の夢が私に戻ってきたのだった。あらぬ刻に扉を叩いて入ってくるなり「先生、他奇(エトランジェ?)とは何のことですか」と訊ねるものがいれば、六月の夜半「これ島松で採ってきました」と腰の手拭にくるんで馥郁たる鈴蘭の花束をさし出すものもいた。いつも眠りたりた豊頬に笑窪を作っている農類の生徒は現在テレビの名老役だそうだし、生徒会で上級生の委員達を鋭い質問で困らせた貴公子はさる水産会社の専務に昨年おさまったようだ。昼間のドイツ語や哲学にはさっぱり姿をみせぬくせに夕方になるとふらりとついてき薄野の焼鳥でともに空腹を凌いだ悪童連の、ひとりは開業医として栄え、ひとりは医科を了え京都の大学院の美学から画業に転じ銀座の個展が好評でいよいよパリ行き片道旅費の目処のついたところで、ピアノを弾く「愛」妻とガス洩れの死を遂げた。

 この正月はそんな思い出に耽り写真まで探しだして眺めているうちに、ふと気がつくと、三年間のあの予科チン等の顔顔がこの七年間に出会ったここの少女達の面影といつの間にか重なりあっていた。東京女子大の学風や学生気質が一高と似ていることはかねて感じていたが、むしろ一高よりは北大予科の方にいっそう近いのではないか。自由闊達で真理のために真理を求め、やや実利にうとい(とくに哲学科は)所など、そっくりだ。たった二年間で驚くほどギリシャ語に熟達したもの、入手しうる限りの資料を二晩三晩ぐらい寝ずにでも調べ上げてきてこちらに補足の余地を残してくれないもの。作品で大臣賞をもらった人(惜しいことに早世)、創作や演出に「忙殺」され卒業間際になって三日に二篇ずつ十幾つもレポートを仕上げて正門を滑りでたひと(そろそろ批評家が注目しはじめたらしい)。博士課程にも送りこみたいひとの気も知らないでさっさと家庭に入り、旦那やあかちゃんの世話に余念のない往年のつわものの数もすでに五指を屈する。

 しかし考えてみれば此処と札幌の予科とは似ていない方がふしぎなので、あの

Quaecunque sunt vera (凡そ真なること、ビリビ書四章八節)をドクター・ライシャワーとはかって本館壁面に掲げさせた新渡戸学長は、また札幌農学校の校風を作りあげたひとりでもあられるのだ。恵迪寮の委員長室には、正面の壁に内村鑑三と新渡戸稲造の大きな、(側壁に有島武郎の小さ目な)肖像写真が飾ってあった。両先生と同級の宮部金吾博士はその頃米寿でまだご存命、このわが国植物び病理学の鼻祖が「自分達が札幌について一月したら西郷隆盛自殺の噂が聞えてきましてね」などと承ると明治初年がまざまざと活きかえってくるのだった。クラーク大佐の言行も博士の口を通すと躍動しはじめて、これが農学校の精神なのだと解り、その初心は北大予科にも脈々と伝わっていることを感じさせられた。新渡戸先生はそうした「幸多き北」の地に「人の世の清き国」を造ろうという、開拓者の意気を一高や女子大にも移植しようとされたのではないか。一高ではそれは校風とならずに、矢内原や前田や金森たち愛弟子により戦後の平和憲法に結実した。女子大に新渡戸稲造が根をおろし、森の会の欅の巨樹なみに大きく育ったのは、安井てつ子という好伴侶をえたからであることは今さら喋喋するまでもない。安井先生については、私ども夫妻にとってはあまりにも大事なお方なので、語ることを避けたい。有吉佐和子の「紀の川」の素描には一片の誇張もないとだけ言い添えておこう。

 そんなことを思いめぐらしつつ私は幾度、多磨霊園の両先生の墓所に学生達を伴ったろう。結婚直前の少女とともに安井先生の墓前に跪いたこともある。新渡戸先生の墓所を掃除していて連れをさんざん蚊に喰わせてしまったのは昨夏であった。先生のお墓にはいつ行ってみても花が献げられているのは何人のわざであろうか。禅林寺の太宰の墓に花の絶えないことと思い合わせて、ご両人の対照の著しいだけに心を打たれる。そういえば盛岡の不来方城址でも、新渡戸碑の「願はくはわれ太平洋の橋とならむことを」は啄木の「空に吸はれし十五の心」と仲良くならんでいる。卒業論文のための勉強に来た学生を私は苦笑しながらまずそこに伴い、それから岩手山北麓の拙荘に案内することにしていた。中には三本木の新渡戸記念館までお供させられて、朝五時に起き十和田湖を渡り奥入瀬を歩き二時ごろ着いて先生幼児の愛読書や祖父伝氏の開拓史料に感激、それから三沢で甘えびの握りずしに堪能してのち、ひたすら帰荘の車を急がせる頃はアークツルスと七夕の織女が空に輝いているという、長い一日を送ったものも少なくない。

 こう綴じってくると、どうも私は女子大と水が合ったということになるらしい。第三の青春と呼びたいが,老妻にとると生涯花が咲かなかったから遅紅葉なのだそうだ。とにかく学生に恵まれたし,同僚の先生方も口こそ悪けれお人好し揃いだった。さて,別れに臨んでクラーク大佐は Boysbe ambitious in Jesus Christ ! と島松で手を振り,ケーベル博士は「私の学生達に宜しく」と漱石に伝言を託した。私も一句のこしたいが、柄でないため何も言うことがない。ままよ GirlsI remember you

all ! とでもさせて頂こうか。「いい所ばかり」は英語で何というのかしら。

(哲学・教授)