第 一 回 瓔 珞 便 り (昭和五十七年末)

 

 歳末もおしつまりましたが、いよいよご健勝の御事と存じます。さてご存知の通り、北海道大学予科はさる昭和253月に閉校いたしましたが、その後、かって職を奉じていた先生方から予科を偲ぶ会合を開催する希望が多く寄せられたのでした。残念乍らその機を得ず、空しく32年余りを経過してしまいました。

 ところが今になってその機が熟し、北海道在住の先生方に連絡して、116日に33年振りの会合を開くことに成功いたしました。その折には13名の先生方が御出席になり、近況報告や回顧談などに楽しい数刻を過ごすことができました。その席上、元予科の専任教官を一丸とした会を設立することに全員の意見が一致し、「瓔珞会」という会名が決定された次第であります。会員相互間の連絡を密にし、親睦を深めることが目的となるわけです。その為には会員の名簿の完成が第一に問題となるわけですが、私の手許で及ぶ限りの努力を払いました結果ようやく名簿の体裁をととのえることができましたので、ここにお送り申し上げることになりました。もとより完璧を期することは至難の業で、不明の方もおられますし、脱落や間違いもあることと存じます。お気付の点がありましたら、お知らせ下さいますれば幸いに存じます。今後は時に応じて会合を開くなり、名簿などを発行するなりの仕事が考えられますが、何卒御協力を賜りますようお願いいたします。

 尚、当分の間有岡勇先生、山元周行先生と私との三人が世話人となることに決まりましたので何卒よろしく御願い申し上げます。御通信は私宛にお願いいたしたいと存じます。御近況などのお知らせをお待ちしております。

                          明 峯 俊 夫

 瓔珞会(昭和初年以降の北大予科専任教官の中、教練将校,外人教師を除いた者の会)

     調査したが住所不明の先生:

体 大根善次  生 三戸芳雄  物 千田朝慎  数 丸山 巌

     故    人    (順不同)

 宇野親美   服部品吉   樟本成美   八木沢 元  青山延敏

 山田鉦太郎  東 新    羽鳥又次郎  成田秀三   吉崎十七

 中島 篤   大野勝治   山岡直道   斎藤護国   萩原清次郎

 広橋 浩   安保常治   高橋保郎   高杉栄次郎  木村 勇

 小谷武治   中川時代   岩瀬喜作   川端梁雄   鈴木庄次郎

 山鳥藤次郎  栃木十吉   高橋丑治   三田村幸吉  荒又秀夫

 奥村敬次郎  菊地 知   梅津藤市郎  青葉万六   野附雄次郎

 小林種樹   今堀克巳   芳村五左衛門 中山忠照   伊藤秀五郎

 鈴木限三   山口英二   新庄 魏    吉村文五郎  田上正敏

 石橋正夫   中根孝治   大山於兎次郎  土佐林義雄  高岡道夫

 池田福海   兼元藤兵衛  金木義雄    和田禎純   都築東作

 曽我孝之   田内静三   大野三千右衛門 川島琢治   藤原 正

                              以上60

  瓔 珞 会 会 員 名 簿    昭和58年9月10日現在  五十音順

数 秋山隆二郎 生 明峯俊夫  体 有岡 勇  生 石塚星郎  数 稲垣 武  

数 井上 弘  化 入江 遠  経 蝦名賢造  数 江本淡也  生 大谷吉雄  

数 大槻富之助 英 川村米一  史 北村文治  生 久佐 守  化 小松三郎  

物 小宮英太郎 物 小山民造  数 紺野正平  化 坂元義男  化 佐藤久次  

法 佐藤昌彦  英 篠田成之  独 柴田治三郎 心 清水栄長  体 神 柾之助 

数 関川 巌  英 高野仁太郎 化 高橋義勝  英 丹治敏衛  史 辻村正吾  

独 津村浩三  倫 富永義彦  数 中島甲臣  体 中西信行  独 中野久一  

体 奈良岡健三 国 西村 稔  地 橋本誠二  物 林 正一  独 原 俊彦  

化 蟇目清一郎 哲 古田惇二  英 本堂正夫  哲 真方敬道  数 松本夏雄  

生 三上 肪  物 水谷 寛  数 水口彦太郎 体 宮崎兼光  化 村上玉樹  

生 村松 康  数 山元周行  物 山本隆男  独 結城謙治  独 横溝政八郎 

英 吉田竜男  化 若山誠治  法 和田英夫  数 渡部信夫  化 鰐淵武雄  

独 横岡雅雄  

                                以上 61