句 集 |
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北島 大果 |
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著者略歴 北島大果(きたじま たいか) 本名、俊明(としあき) 昭和15年2月29日 東京の新橋に生る 昭和41年 「萬緑」に入会、中村草田男に師事 昭和51年 「萬緑」同人 平成9年 萬緑賞受賞 平成14年 句集「少年」出版、本阿弥書店刊 「萬緑」運営委員、俳人協会会員 |
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平成14年9月18日、朝日新聞「折々のうた」に掲載・・こちらから |
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自筆の色紙・・こちらから |
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序 成田千空 |
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| 大果氏は昭和五十年に萬緑新人賞を受賞して、大型新人として注目されたが、萬緑賞に到達したのは平成九年であり、そして今度の第一句集『少年』の出版となった。実に三十六年の歳月を要したことになる。草田男が示した文学と芸の課題は、全身的な句作の営為を必要とするのである。大果氏は多作の人として知られている。厖大な作品から自選された句集だけに、秀句が多い。 |
オリオンに春待つ心結びけり |
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| 昭和41年、朝日俳壇の中村草田男選に入った句で、これをきっかけに草田男主宰の「萬緑」に入会したという。北島大果氏は大学を出たばかりの頃である。当時、油絵もやっており、「何か自分自身から発信するものを創りたいとの内なる欲求が強くなり」、句作の動機となった。第一歩からして自己実現として俳句であったわけである。 オリオン星座は冬の銀河の東南に輝いている星である。二月上旬に南中する。春を待つ心をオリオンに結んで立つ、独りの青年の希いが美しく伝達される。現実は寒く重いのだが、それゆえに一層オリオンの輝きが心に沁みるのであろう。(成田千空) |
肚から光る学生服や鳥渡る |
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| かつての学生服は黒いサージの服地が多く、体形がよほど変わらないかぎり、入学から卒業までの問、着通しの学生が多かった。作者もまた御多分に洩れない一人であったと思われる。肘の部分は屈伸が多く、また、物を考えたり書いたりするとき、机に擦れて光るのである。働きながら夜間の大学に通ったという、作者の歳月がこの学生服から暗示される。「肚から光る」は意思のかたちでもある。鳥たちが力をつくして北から渡ってくる季節である。(成田千空) |
風切る馬風を断つ牛十二月 |
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| 馬は敏捷に風を切り、牛は鈍重に風を断つと見た。この簡潔な直観と断定が、馬と牛それぞれの存在感を表現してリアルである。牛馬は人に酷使されるというが、この句はそれを超えて生きる馬と牛の本質に迫り、共感をもって一句を成している。「切る‐断つ」ということばの活力は、作者の生活感の反映とも思われる。十二月は動かない。中村草田男の原馬(ウルブフェルト)の説は、現象の中に根原をとらえる、真の写生説であった。(成田千空) |
菜の花や濡れてしまへば雨やさし |
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| 雨に濡れるという感覚は快いものではない。だが、濡れてしまえば雨の感覚も別のものとなる。きらきらと降る雨に身を委せてゆくほどに、雨のやさしさを覚えるという。菜の花が咲いている。菜の花も雨に濡れている。雨のやさしさにほだされてゆく、自然体の表現である。(成田千空) |
啓蟄や母は一より聞きたがる |
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| 大果氏は四歳の時に生母と永別された運命のもとに、むしろ人格が強靱に形成されたと見られる。岡田梅市氏によると、「逆境に挫折もせず、卑屈にもならず、長男として面親、弟妹の世話に身をなげうち、いまだに配偶者を得ていない」という。私が大果氏を知ったのは平成時代に入ってからであるが、都会の知識人でありながら、庶民性が豊かで親しみがあり、しかも組織の仕事には献身的である。当然多忙であり、育母を留守番として、奔走する日が多いと思われる。母は子の行動の一々を聞きたいのである。子供の頃、その日の出来ごとを一々母へ報告していたのであろう。母には育てた子へのいとしさが続いていて、いま、養う母への応えをする「一より」ということばのこまやかな真実感に注目したい。啓蟄という季語がよく働いている。(成田千空) |
少年てふ光に遇ひぬ冬の山 |
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| 大果氏と一緒に吟行すると、高いところへ登るくせがあるようである。私などは老いてこの方、高処はにが手であるが、彼は小柄な体の足どりも軽快に登る。当然、山が好きであり、山の体験も豊富と思われる。冬の山で出会った少年の元気なすがたを、光と感じとったのは、純粋への共感であろう。(成田千空) |
高々とすでに帰燕のこころざし |
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| 九月に入ってそろそろ秋冷を感じる頃、燕は南方へ帰ってゆく。それまで名残りを惜しむように低く飛んでいた燕たちだが、ある日、いっせいに飛ぴ去る。この句はその場面に出会った瞬間をとらえている。高々と小さく群を成して飛んでゆく燕たち。それを帰燕の「こころざし」と見たエモーションの高揚が、首尾一貫したかたちを成して、仰ぎみる視界を生みだしている。空は青く、その下に海や川が輝いているにちがいない。そのいさぎよさがまた、あわれにも思われる句である。(成田千空) |
手拭は流れたがるよ山清水 |
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| 山歩きをしていて出会った清水である。汗にまみれた手拭を流れにひたすと、手拭は流れそうになる。「流れたがるよ」という表現で、山清水の流れの早さと、清冽な水の感じが伝達される。作著の感覚と感情は手拭に仮託されて、自然に擬人化されたことばとなっている。誰でもが実感しているはずの対象だが、いきいきと表現されて、共感を誘う。(成田千空) |
青葦や断乎と父を呼ぶ男の子 |
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| 「断乎と父を呼ぶ」という。子が父を呼ぶ呼ぴ方におどろきがある。父の言いなりにならない年齢の男の子の言動が伝達されて、一種の爽快感を覚える。様々な場面が想像されるが、先ず父に向かって〈親父〉と呼んでいるのであろう。安穏な家庭の空気をやぶる呼ぴ名かもしれないが、〈男の子〉と認識することで、吹っ切れた句となっている。青葦という季語のはたらきに注目したい。(成田千空) |
雛の日や陽光吹き散る相模灘 |
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| 相模灘は相模湾の沖の海域で太平洋に続いている。伊豆半鳥と房総半鳥が突き出て、黒潮が流れる海域である。陽の光と風が相搏つ広大な景観である。「陽光吹き散る」という表現が季節感と相模灘の実相をとらえているようだ。壮大な眺めと「雛の日」の優しさがこまやかに照応して、前方に展けた世界を示している。自然に対する審美眼もこの作者の素質の一つである。(成田千空) |